『言』の記録 |
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子供の頃から大人の苦労話は好きだった。戦前戦中を過ごした両親。優秀な成績をもって(?)早めに義務教育を終了した父の兄弟姉妹。農家への奉公と徒弟制度のもとでの弟子の暮らし。あるときにはシベリアに抑留されていたおじさんの話。
いったい苦労話はどこにいってしまったのか? 「おしん」がアジアをはじめとする各国で人気を博したのは聞いているが日本ではどうか。若い人達(おじさんぽい)はどんな感性を持っているのか。
宮尾登美子さんの自伝的小説は『櫂』『春燈』から『朱夏』へと続く。
経済的に恵まれた家庭に育った主人公が、乳飲み子を抱え満州に渡りあの八月十五日終戦の日を迎える。そこからの彼女の苦労はまさに筆舌につくしがたい。
くる日も、くる日も、配給の薄い高粱粥だけの生活、食べ物のために、法律もモラルもなくなる無法状態。抱えた我が子をも食べ物と交換したくなる極限心理状態。
体験に基づいているだけに、ものすごい迫力でついつい読み終えてしまった。
『朱夏』に記されている内容は、彼女にとっては思い出したくもない出来事であったろうと思う。しかし、かなり後になってから、「あの体験を娘に伝えるのは自分自身に課せられた義務だ」として世に作品として残した。
体験として何も持たない我々は、次の世代に何をどのように伝えればいいのか。
厳しい体験を持つ世代の人が少しずつ少なくなり、先達から聞いた苦労話が風化していく世代があり、つい六十年前のことを想像さえできない世代が増えている。
日本人は生命力をどんどん弱めているのではないかと思いつつ少しだけ不安になる。
(「民主党さっぽろ」2004年6月25日号より転載)